知り合いに勧められて,こんな本を読んでみました。
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」―ユヴァル・ノア・ハラリ 著 河出書房新社
初めに申し上げます。とても重厚な本です。
話が始まるのは,さかのぼること数百万年。原始人類がチンパンジーなどと別々の進化をたどり始め,地球上を二足で歩行するようになり始めた頃の話です。原始人類は我々「ホモサピエンス」の先祖です。この頃の人類はまだホモサピエンスからは程遠く,言語を話すことはおろか,道具を作って使うことはできませんでした。チンパンジーやゴリラと変わらない,餌を採集しながら群れで生活するありふれた動物の一種類にすぎませんでした。数百万年前の原始人類は,サバンナを闊歩しているシマウマやキリンやライオンなどと変わらない,集団でエサを食べながら生活をし,オスとメスが交わりながら子孫を増やしていくという「ただの動物」だったのです。
それがやがて,二足歩行するうちに,歩行に必要なくなった手を使いながら自然にあるもので様々な道具を作るうちに手先を器用に扱えるように脳や神経が進化しました。やがて,初期の人類 (ホモ=エレクトス) は火を取り扱うことも覚えました。
ここに出てくる初期の人類は,現在の我々とは別の種であるといわれています。現在地球上にいる人間は,「ホモ=サピエンス」という種であり,人類の歴史の中でも比較的最近に登場した種と言われています。最も古いホモ=サピエンスの存在が確認された場所が東アフリカ。この場所から,ホモ=サピエンスの旅が始まります。
当時地球上には,ホモ=サピエンス以外にも何種類もの人類がいました。東アフリカから全世界にホモ=サピエンスが広がる過程で,ホモ=サピエンスがほかの人類を絶滅に追いやったといわれています。
人類がホモ=サピエンス一種類だけしかいないこの時代は,とても特異な時代なのです。もし現代にホモ=サピエンス以外にも人類の仲間が生き残っていたら,違う人類同士で同じ社会で生活していたのでしょうか?その社会の中で,異なる種どうしで結婚していたのでしょうか?あるいは,ホモ=サピエンスの本能が異なる人類を生理的に受け付けないように作られていたのでしょうか?想像は膨らみます。
ほかの人類と比べても体格的にそれほど恵まれているとは言えないホモ=サピエンスが,ほかの人類を抑え世界を征服できた要因の一つが「言語の使用」と言われます。もともとホモ=サピエンスは,群れで集団生活するためのコミュニケーション手段として声でやり取りをしていました。チンパンジーやイルカも声で単純なコミュニケーションができるといわれているので,この時点ではほかの動物とは変わりません。それが数万年を経つうちに,このコミュニケーションがだんだん高度になっていきました。(ただ,この時点での言語は,現代でいう「言語」のように語彙や文法の体形が現代のように完全で体系的であったわけではありません)これにより,食料はどこにあるか,まわりの自然や地形はどうなっているのか,群れの中で誰が弱っているかなどが共有できるようになったといわれています。
本来,生存のために用いられていた言語は,やがて人間の世界の認知の仕方を大きく変えます。身の回りの現実世界を表現するための言語が,やがて現実を離れ,人類が言語を用いて現実にない様々なことを想像することができるようになったのです。これは「認知革命」と呼ばれ,火の発明に並ぶ人類の進化の転換点と言われています。言語の使用に伴う認知革命が,人間が豊かな想像力と思考力を獲得するきっかけとなりました。
人間は言語と認知能力を用いて,群れの社会をより高度にしていきます。群れの中でのルールを取り決めたり,オスとメスの役割分担や家族の在り方が形作られていったのです。ホモ=サピエンスが東アフリカを出発し,オーストラリア大陸や南アフリカ大陸に到達したとき,地球上には何万ものホモ=サピエンスの群れがありました。そして,使われる言語や家族のあり方は群れによって様々で,同じものは一つとして存在していなかったといわれています。ある群れでは一夫多妻制で,ある群れでは一夫一妻制。生みの親が自分の子供を世話するという風習の群れもあれば,幼い子供は群れ全体で役割分担して面倒みるというような群れもあったり。
かつては,同じ群れの中に適齢期の男女がいたら交わって子孫を残すのが当たり前とされていたのかもしれません。ところが,現代というのは人間の歴史からするととても不思議な時代。「結婚」という概念が生まれたのも長い目で見れば歴史が浅いですし,その浅い歴史の中で,「誰と結婚するか?」「そもそも結婚しようかどうか?」という悩みが生まれるのは当然のことなのだと思います。こういう本を読んで,長い目でものごとを考える機会があると,自分の悩みや存在がとてもちっぽけに感じて,なんか頑張ろうと思えてきます。
現在の日本で一般的な,「ある一組の男女が結婚して,子供を産み,自分たちの手で育てる」という家族や結婚の在り方は,人類の長い歴史から見ても数多くの家族の在り方の一つでしかありません。「ほかの異性と交わるのはいけないこと」というのが理性に刷り込まれているのはキリスト教の影響が強いと言われています。本来,オスが多くのメスと交わった方が種の繁栄を考えると有利なのですが,子孫をたくさん残す欲求を理性や社会的ルールによってコントロールしているのも人間の人間らしさの一つでもあります。
人間の幸せは生存して子孫を残すことだけじゃありません。趣味に打ち込むこと,おいしいものを食べること,友達と遊ぶこと,自分の目標に向かって努力すること…。もともとは群れで生活して,次の世代に種の遺伝子を残すために生きている「ただの動物」でしかなかった人間が,こんないろいろな幸せを見つけたのはとても不思議に思います。
でもやはり,我々の心の奥底には動物としての部分がまだ残っているのでしょうか。「私は結婚しなくても,ひとりで生きていける」と心に決めていても,ふとした瞬間に「結婚して子供欲しかった」という後悔がよぎってしまうもの。大昔から群れで生活して子孫を残してきた先祖の遺伝子が脈々と受け継がれてきた証拠なのでしょう。
結婚するもしないも自分で選べる時代。その中で,「結婚したい」と少しでも感じた時に,結婚へ向かう選択肢を示すのが私どもの役目だと思っています。今後も「結婚したいのにできない人をゼロにする」という目標に向かって,さまざまな情報を発信していけたらと思います。ではでは。